・顔振峠の『平九郎茶屋』は、幕末の飯能戦争で負けた渋沢栄一の義理の弟が立ち寄ったという過去があるんだそう
顔振峠には茶屋があり、うち1軒は維新戦争に関係あり。
以前から師匠にそんな話を聞いていたんですけど、実際に訪れるのは今回が初。
なので少し調べてみましょう。
その1軒というのが『平九郎茶屋』、平九郎というのは渋沢平九郎なんだそう。
渋沢といえば、渋沢栄一という偉人の名が浮かんできますよね。
渋沢栄一と渋沢平九郎の関係は義理の兄弟、渋沢栄一の妻千代が平九郎のお姉さんだったという関係です。
その後、平九郎は渋沢栄一の見立養子(相続人)となり、1868年に上野戦争で有名な彰義隊に参画。
彰義隊から分離して振武軍を結成し、飯能で新政府軍と飯能戦争で戦ったものの敗北、秩父に逃れる途中で顔振峠を通過した際にこの茶屋に寄ったんだそう。
その後、平九郎は黒山で新政府方と戦闘となり、小刀一つで勇戦したものの傷を負って自刃したんだとか。
幕末の歴史がこんなところにもあったとは意外。
『平九郎茶屋』には猪鍋やうどん・そばもあるものの、お昼ご飯をさっき食べたしなと通り過ぎようとしたところで…おっ。
サイダーがあるじゃないですか。
秩父路サイダー200円、師匠、これを飲んでいこうよ。
オープンテラス席に陣取って、まずは一口。
ん~、美味い!
長時間歩いている最中、何を飲んでも美味いのは間違いないものの、炭酸強めで後味スッキリ。
ゴクゴクと3口で飲み干してしまいましたけど、師匠も美味い美味いとあっという間に完飲。
テラス席からの景色、山並みの美しさは関八州見晴台と同じ。
そういえば武甲山は見えないのかな…
テラス席からも見えはしたものの、建物と被ってしまいピントが合わず…
茶屋を出た後に撮影したんですけど、どの山かわかりますかね?
山並みと手前の稜線との交点に近いところ、ツンと立った三角形が武甲山。
さて、ここからは再び山道、この先はほぼ下りオンリーで、師匠に言わせると「消化試合みたいなものです」とのこと。
また言っているよと思ったものののこれは本当で、危険は全く無い下り道。
軽い足取りで我々を抜かして行った方は、「ほろ酔い気分で快調!」とにこやかに一言、あぁ、『平九郎茶屋』で呑んでた方だ。
吾野の街に戻ってきて、駅に向かって歩いていると... あ、パワーショベルだ。
乾いた戦車のような音をたてているので、キャタピラは金属だよな。
のどかな風景ではありますけど、アスファルトを痛めたりしないんでしょうかね。
「えぇと、あ、あの階段です。」
と、師匠が昇り始めたのは吾野駅に向かうため。
先ほど高山不動の階段を経験している我々には、これを昇るくらいは大したことはないんです。
でも日常生活で毎日これを昇り降りするのは、ちょっとキツいでしょうねぇ。
そんなこんなで吾野駅に到着。
次の電車を暫し待って、さて、次は飯能駅で降りて温泉に行こうというところで、続きはまた明日。
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