・行徳街道は江戸から明治時代に栄えていた道、その痕跡はそこここに残っている
昨日の続き、行徳街道を浦安方面に向かって進んでいきましょう。
寺町通りを過ぎた先から、街道沿いに古民家もちらほら。
こちらは『笹屋うどん跡』、江戸時代に人気があったお店なんだそう。
笹屋の屋号は源頼朝が名付けたとも言われているそうですけど、その時代にうどん屋さんがあったとは思えないですよね。
常夜灯、ここが江戸時代の船着き場。
成田山詣もここまで船でやってきてからの陸路、そう聞くと往来は多かったんだろうと想像できますね。
人の流れが大きく変わってしまったのは、その後の鉄道の整備によるもの。
その時代にこの地にいた人にとっては、大打撃だったんだろうなぁ。
行徳ふれあい伝承館、こちらは休憩所。
トイレがあったり簡単な食事もあったりと、街道歩きの途中に寄りやすいようになっています。
オープンしたのは4年ほど前だったかな。
前を通ったことは何回かあったんですけど、間近で見るのは初。
氷でも食べたいような気温ではありながらも、この後のウォーキングがあるので今日は諦めよう。
お向かいにあるのは旧浅子神輿店。
行徳は寺社の町、神輿作りが地場産業で栄えていたんです。
内部も見学できるようでしたけど、汗臭いし迷惑だろうなと思って遠慮。
またいずれ、伝承館での食事とあわせて来てみようと思います。
更に浦安方面に歩くと、クネっと不自然なS字カーブがあるんです。
街道のS字、宿場町への入り口ですね。
ここには伊勢宿という宿場があったとのこと、今日では全くそんな風情はないので驚きます。
反対側にもしっかりとS字カーブがあり、この間が宿場だったんだということがよくわかります。
いきなりのS字カーブ続き、ぼんやりと車で走っていると危険な場所。
ん?こんな広場、あったっけ?
左側にある像が田中幸之助という方で、この地で生まれたとのこと。
何をやったのかというと、総武線の開通で発展が遅れたこの地を復興すべく、東西線の誘致に奔走されたんだそうです。
東西線によって、行徳や妙典には住んでいる人が多数。
この地の今日があるのは、田中幸之助さんのおかげなんだなと。
以前から気になっていた鰻屋さんの『そめや』、最寄り駅の一之江から1kmも離れているにも関わらず人気店のようで、いつも車や自転車が停まっています。
食べログでメニューの値段をを確認すると、上は2017年2,400円→2019年2,600円→2021年3,080円と激しく値上がり中。
今回の終着点としていた今井橋、ここには今井の渡船があったんです。
江戸からの客は渡してもよいが、江戸に行く客を渡すことは禁じられていたとのこと。
駆け落ちしてきた男女が江戸に渡ろうとして捕えられ、船頭とその女房を含め5名が磔刑になった、なんてこともあったようです。
今じゃ考えられない刑の厳しさですねぇ。
さて、南行徳駅まで歩いて昼飯にしよう、というところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
・『そめや』の食べログ評価は3.36(2022年6月)。値段はそこそこしますけど、味には期待できそうですね。
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