笠間というのは、江戸時代には藩庁があった街。
越前長岡藩の支藩、譜代大名の牧野家8万石で幕末を迎えたんですけど、会津藩を攻めたりと本藩と違って官軍方だったようです。
牧野家所縁の展示があるのかと思いきや。
あれ、これは火事装束ってことは… 大石内蔵助じゃないか?
ついでに手前の馬の頭の正体は?
二兎を追う者は一兎をも得ず、こっちはまぁいいことにしておきましょう。
で、なぜ大石内蔵助か。
実はこの笠間藩、赤穂の浅野家が入領していたことがあったんです。
大石内蔵助の曽祖父と祖父の時代、と書いてあったかな。
あんまり関係ないなと思いつつ、著名な人物に少しでもあやかろうという熱意は素晴らしい。
笠間城は山城で、その不便さから江戸時代には藩主屋敷が麓に建てられていたとのこと。
その屋敷跡が公園になっているので見学していくことに。
物見台? いや、時鐘なのか。
他の城址で時鐘なんて見たことないような気がするけど、時間なんて気にしないのが普通だったのか、それともお寺の鐘を使っていたんだろうか。
記事のアップがすっかり季節外れになってしまいましたけど、この日は銀杏が綺麗だったんですよ。
これだけの広さ、遊ばせておくのは勿体ないな。
屋敷を再現して道の駅にでもすれば、それなりに人は来そうな気がするんですけどね。
少し車を走らせて真浄寺へ。
ここのお堂、笠間城の八幡台櫓を移設したものなんだそう。
どういう形であれ、当時の建造物が残っているというのは貴重ですね。
再び車を走らせて山の中にいくと、デッカい石がゴロンと置いてあります。
案内板を読むと、え~っと。
鎌倉時代、僧兵の争いで負けた佐白山の僧兵がこの石を転がすと、敵方の徳蔵時の僧兵が下敷きになって多数死んだ、とのこと。
この石の下には潰れた骸骨があるんだろうか。
そもそも、こんな大きな石を転がすことができるんだろうか。
様々な疑問はあるものの、こんなに大きな石が舗装路の横にあるのは初めて見たな。
今回は雨模様で本丸跡まではいきませんでしたけど、城址全体を歩いてみるのも面白そう。
これはまた来なきゃなと。
【今日のワンポイント】
・笠間城は鎌倉時代に作られたもの。僧兵の争いに宇都宮氏が一族の塩谷氏を援軍として送り、双方を滅ぼした後に築いた城が笠間城になったとのこと。笠間氏は小田原征伐の後に滅びたんだそう。
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