今回歩いたコースの全体像、地図右下が京成臼井駅で、時計回りに印旛沼対岸の師戸城址に向かって。
戻りは地図中央の臼井城跡、再び京成臼井駅に戻るというコースです。
全体で11km、3時間強といったところ。
手頃な散歩コースよりは、少々ハードかもしれない距離です。
京成臼井駅は初めて降りましたけど、駅舎も大きく周囲は住宅街。
イオンもあったりと、想像以上に開発されています。
「うすい」とひらがな表記されることが多いのは、北総線の白井駅との誤認を防ぐためなんだとか。
近いということもあって、確かに区別しにくいし、「臼」という漢字は書き順もよくわからず、バランスよく書くのも難しい。
まずは駅の南にある一夜城公園に。
臼井城攻めの際、この地に一夜城を築いたのは上杉謙信。
戦上手の謙信が臼井城を落とせなかっただけでなく、大損害を受けたという話が残っています。
ただこの碑があるというだけの公園ながらも、臼井城を巡る最初のポイントとしては悪くないですね。
続いては臼井城南西の防衛拠点である田久里砦跡に。
ここに来るまでにも、そこそこ坂を登らなければ。
もっと平坦な土地かと思ってましたけど、臼井城のある台地の坂は意外にしんどい。
ウォーキングが目的なのに、少しでも楽をしたいという心情に気付かされ。
仕事も同じで、稼ぐためには苦労は当然、でも少しでも楽ができたらと思ってしまうんだよなぁ。
まぁそれはいいとして、砦跡は小さな公園になっています。
周囲の住宅街にも平らな地が広いところを見ると、それなりの規模の砦だったんだろうなと。
城の周囲には、こんな砦が5つ以上あったとのこと。
更には印旛沼対岸の師戸城、少し離れた本佐倉城とも水運ネットワークを構築。
これらが一体となって防衛に機能するというシステム、全国でもなかなか珍しいんじゃないかな。
ん?雷電って、どこかで聞いたことあるぞ。
ネットで調べてみると、江戸時代の力士。
未曾有の最強力士と言われるのは、生涯成績が254勝10敗だったから。
生まれは信濃国なのに、こんな場所に墓があるのはなぜか。
それは奥さんが臼井出身の方だから、その程度の所縁でも墓があるというのは、当時は本当に有名な力士だったんでしょうね。
おや、古そうな道標、「左 江戸みち」「右 成田みち」とな。
かつては、臼井宿に繋がる成田街道だったのかな。
今や住宅街にひっそり、地味ながらも歴史を物語る存在感です。
道標近くには、実蔵院というお寺、創建は1300年代とのことだから、室町時代ですね。
臼井城に続く台地の一部なので、いざという時はここも重要な防衛拠点だったのでしょう。
明治末期から太平洋戦争中まで、この地には私立中学校があったんだとか。
眺めも良いし、学ぶには良い地だったんだろうな。
臼井というマイナーな地でも、巡り始めるといろいろあるもの。
今日はここまでにして、明日はまた別の砦をご紹介します。
【今日のワンポイント】
・田久里砦跡の看板は、公園の片隅にひっそりとあります。目立たないので、マップを見ながら慎重に探すべし。
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