そんななか、似つかわしくないものがポツンと置いてあったんです。
何だ、これは。
テーブルにしては近くに椅子はないし、オブジェという訳ではないような…
まさか、見た目通りのあれ?
ですね、卓球台。
ラケットまで貸してくれるそうですけど、ここで卓球ってどういう発想なんだろう。
近所の人々が集まる場所として愛されたいって、そりゃそうなんだろうけど…
プレイをしていると突如、卓球台の中から人が飛び出してきてビックリさせる、なんていう仕掛けが隠れていることを期待していのは私だけだろうか。
新田神社を出て、次に向かうは十奇神社。
文字からして、新田義興の家来十騎を弔う神社と思いましたけど、読みは「とよせじんじゃ」なんだそう。
小さい神社でしかも駐車場の奥、気をつけて探さないと見落とすと思います。
十騎の名ははっきりしていて、世良田右馬助義周・井弾正左衛門・大嶋周防守義遠・由良兵庫助・由良新左衛門・進藤孫六左衛門・堺壱岐権守・土肥三郎左衛門・南瀬口六郎・市河五郎。
騙し討ちに合いながらも、必死に主君を守ろうという姿、映画にしても共感を呼びそうな気がします。
次に向かったのが通称「とろけ地蔵」。
新田義興の謀殺に加担した船頭が、罪を悔いて作ったものと言われているらしいですけど、これにも新田義興の祟りがついて、顔を溶かしたんだとか。
実はこんな一連の祟り話、江戸時代の名プロデューサーである平賀源内が書いた浄瑠璃の「神霊矢口渡」が影響しているようで、さも尤もらしく様々脚色されているんでしょう。
最後の目的地、妙蓮塚三体地蔵は、上に書いた十奇神社にも名があった土肥三郎左衛門・南瀬口六郎・市河五郎を祀るもの。
この3名は川を泳ぎ渡り、そこで敵と斬りむすんで討ち死にしたとのこと。
それがこの場所、暗くなってからの到着で、狭い神社に木が鬱蒼と、不気味さに近寄ることができずです。
私の中の畏怖の記憶、明るく装飾された新田神社ではなく、もしかしてこのお地蔵さんに依るのかな。
新田神社とその周辺の観光、これはこれでなかなか面白かった。
【今日のワンポイント】
・新田義興は、新田義貞の次男。新田義貞が北陸で戦死した後に関東で戦っていたそうで、南北朝時代の戦は以外に長く続いていたことを再認識です。
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