正規の登城ルート、南東の馬出門から。
ぱっと見ではここが一番攻めやすいようにしてあったのか、でもそれは罠。
一度入り込むと、立ち往生して大損害が出る仕掛けなんです。
馬出門に近づいてみると、なんだ、この程度の門は簡単じゃないか。
丸太でドカンと。
中に突入すると、正面の曲輪から矢弾が雨あられと。
ここは側面からも攻撃を受ける場所、壁に近づけば矢弾を避けることができるので、ここはとにかく正面に突撃!
そして曲輪の手前には広大な堀、これは近付けん…
場内へのルートは堀を左に迂回して側面から、そんな間にも矢弾は降り注ぎ、後から場内に入ってくる味方で退却もできない。
大きな犠牲を払って曲輪に突入できたとしても、そこに待つは銅門、文字通り銅板張りで破るのは困難。
そして側方からも攻撃を受ける構造、二ノ丸でもこの部分は独立しているような造りで、突破するのはまず困難でしょう。
この日は銅門を公開していて、どれどれと中に入ってみると…
お、やってるやってる、小田原評定。
小田原城征伐の時にはまだこの門はなかったし、そもそもこんなところで重臣会議をする訳はなし。
リアリティよりも雰囲気重視ですね。
小田原評定は物事が決まらない会議の象徴のように言われてますけど、20万の兵に囲まれて、籠もる武将達の城を次々と落とされて。
何かを決める方が困難な状況だったのは想像に難くない。
ボランティアガイドさんのお話、小田原征伐について語ってました。
小田原征伐のきっかけとなった前年の名胡桃城事件、これも豊臣方の策略だったというスタンスでした。
ここでは事件には触れませんけど、そう考えても不思議はないので興味ある方はネットで調べてみてください。
北条氏が滅亡したのは、それからわずか8ヶ月ほど後のこと。
あまりにも手際が良過ぎるんですよ。
二ノ丸から、いよいよ本丸に。
堀を渡り階段を昇り、右に90°曲がったところに常盤木門。
正面、両側面から矢弾を受ける階段、ここも攻めるには地獄のような造りです。
小田原の堅城っぷりがわかりますね。
ようやく到着した本丸。
5年前に来たときには工事中で、今回はこの中を観るのがメイン。
どんな様子かというのは、また明日の記事にて。
【今日のワンポイント】
・北条氏時代の小田原城と、江戸時代の小田原城はどれぐらい違うんだろう。ネットで調べてみると、かつての小田原城は新幹線の北西側、現在の小田原高校・城山陸上競技場・城山公園のあたりにあったとのこと。1km近くも離れているんですね。
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