なので感慨も一入、さて、じっくり観ることにしましょう。
この写真、空は入れ替えて見栄えを良くしていますけど、石垣は本物。
石垣というより、崩れた岩が多数あるだけじゃないかと、そう思う方もいるでしょうけど。
このお城を築いたのは豊臣秀吉。
小田原城に籠る北条勢の戦意を喪失させるためのもの、とされています。
小田原城攻め、世に言う小田原征伐は1590年3月の前田・上杉・真田軍による松井田城攻撃からスタート。
そして箱根の山中城がわずか1日で陥落したのが3/29。
4/4から小田原城包囲が開始され、その直後からこの石垣山城の築城が始まったとのこと。
5万ほどの兵で小田原に籠る北条勢を20万で囲み完全封鎖。
その間、別働隊で手薄な北条方の城を次々と陥落させ、まるで磨り潰すかのように関東を攻めたというのが秀吉の作戦でした。
この城は6/26に完成、わずか3ヶ月弱で造った立派な石垣の城。
完成してから周囲の木を倒したので、北条方には一夜で完成したかのように見えた、なので石垣山一夜城と言われているんです。
そう聞くと大した城じゃないと思うんでしょうけど、現地に行って見るとさにあらず。
10の曲輪と天主台をもつのは、当時の関東の城では有数の規模だったでしょう。
石垣山城の完成後、わずか10日ほどで北条方は降伏。
つまり城として使われたのは、そんな短期間だった訳です。
築城の人夫は3~4万人と言われてますけど、3万人に3ヶ月分、1人100万円を払ったとして…え、300億円!
材料は山で拾ってくるにしても、これだけの人件費をかけるとは凄い。
22万の兵の食糧調達しかり、圧倒的な力の差を見せつけられて、関東の雄も屈服せざるを得ない。
正に秀吉らしい、金にもの言わせた派手な戦だったんだな。
そうそう、ARはここでも使えましたよ。
こんな感じで、何もない曲輪にいきなり城壁や石垣、そして陣取る武将の旗印。
これ、なかなかいいじゃないですか 。
この山からは、小田原城を一望できるんです。
距離は3kmほど。
秀吉もこんな風に小田原を、そして城を囲む自分の軍勢を見下ろしたんでしょうね。
いやいや、想像以上に凄い城だったな。
駐車場に下ると、何やら大行列。
『ヨロイヅカファーム』って、何か聞いたことあるぞ。
あぁ、有名なパティシエ。
私ゃケーキには興味なし、お土産に買って帰れば喜ぶんだろうけど、この後小田原の街まで歩いてランチ、そして小田原城にと旅は長い。
また機会があればと、よし、再び歩くぞ。
石垣山城
0465-23-1373(小田原城総合管理事務所)
小田原市早川
見学自由
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