石畳の細い通り、ここに近藤勇の本陣があったのか。
よし、奥に進んでみるか。
陣屋跡はここ、当時は「永岡」という酒造だったんだそう。
現代でも酒店で、名前が「秋元」なのは「永岡」が経営不振に陥ったのを引き継いだから。
新撰組を匿った、という風当たりが強かったんでしょうかね。
当時の建物は残っておらず、近藤勇陣屋跡の碑と説明板があるのみ。
新撰組は、鳥羽伏見、甲府で連敗して流山に。
既に沖田総司は病で離脱、永倉新八や原田左之助も隊を離れるなど、新撰組もかつての姿とは異なっています。
近藤勇が流山に陣を置いた翌日には官軍に包囲されたとのこと、内通があったのかもしれないですね。
流山の町や部下達に被害が出ないようにと近藤勇は官軍に出頭、部隊の役割と自らの名前を偽ったものの官軍にバレてしまい、斬首になったというのがこの後の流れ。
近くにあった閻魔堂に寄ると、金子市之丞という人の墓を発見。
金子市之丞?
説明板によると、江戸時代の義賊とのこと。
父の死で店が傾き、賭博に手を出し盗みをはたらくように。
ただし盗むのは金持ちの家からで、貧しい家にもばら撒いた。
捕まり処刑されたものの、家の近くの閻魔堂に地元の人が墓を建て、今日ではここにお参りすると「頭の病気が治る」「刑が軽くなる」と言われているんだそうです。
盗賊になった経緯には同情の余地なし、それで義賊というのはちょっと言い過ぎのような気もしますけどね。
さて、本町通りに入ってと。
清水屋は歴史ある和菓子屋さんで、ここで何かお土産でも…う、まだ開店前か。
調べてみたら開店は正午とのこと、こりゃ待つには長過ぎる。
白い看板はモルタル化粧看板というそうで、現在では再現困難な職人技なんだとか。
なので国登録有形文化財になっているそうです。
流山浅間神社、流山を包囲した官軍の本陣だった場所。
近藤勇陣屋跡とは目と鼻の先、こんな近くに陣取られては、投降せざるを得ないな。
社殿裏には高さ6mの富士塚があるものの、今回はこれもスルー。
新川屋は呉服屋。
見事な見世蔵、ここもまだオープンしておらずでしたけど、風情と重厚さがあるなと。
こちらも国登録有形文化財。
キッチン菜の花、お弁当屋さん。
目立つのはファンキーな黄色ながら屋根は和風、建物内も純和風なんだろうな。
ふぅん、流山にもいろいろ歴史があるんだな。
駅に寄ってみると、駅舎もレトロでいい感じ。
ん? ここにも萌キャラ? 鉄道むすめと書いてありますね。
「幸谷なのは」はこの娘さんの名前なんだろうか。
田舎の駅らしく、のんびりと働いている風、ほっとする雰囲気。
さて、次は流山市立博物館に、というところで、続きはまた明日。
近藤勇陣屋跡
04-7150-6085 (流山市観光協会)
流山市流山2-109
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