さて、いよいよ本佐倉城へ。
まずは全体図を確認しておきましょう。
図の上が北、印旛沼があり、京成線は上辺のあたりを左右に走っています。
麻賀多神社や勝胤寺が左上に書かれており、大佐倉駅は更に左。
北は印旛沼に守られ、南の成田街道からの進入は右下から。
本城に攻めかかると、外郭である向根古谷から側面を突かれるという構造です。
城に入ったのは、城山の北側の東光寺ビョウから。
東山虎口、ここに門があり、更にその先にももう一つの門。
一つ目を突破されても、二つ目の門で防いでいる間に左右の斜面上から攻撃する算段、よくできています。
東山馬場の端っこには見張り台。
なになに、ここからは筑波山も見えるのか。
うーん、今日は見えないな。
でも眺めは抜群、かつては印旛沼を渡ってくる舟もよく見えたことでしょうね。
東山馬場に駐車場があり、城方面を見上げると、現在はこの城跡唯一の建造物(?)である矢立。
板が並んでいるだけといえばそれまで、でも城っぽい雰囲気を醸し出しているかな。
Ⅳ郭とされている平坦地。
用途は不明とのことですけど、城山(本丸)や奥ノ山(二ノ丸)よりも一段低くて広いので、屋敷などの建造物があったんじゃないかと。
城山への通路。
ここは狭くて急坂、谷側は急斜面で城山に入るには90°の角があるんです。
なるほど、守りの造りになっているなぁ。
城山は想像以上に広く、複数の建物があったようです。
自然の山を切り崩して作ったんでしょうけど、かなりの大規模工事であっただろうことは容易に想像できます。
お隣の奥ノ山への通路。
往時は、城山から奥ノ山には橋がかけられていただろうとのこと。
とすれば、今通っているこの通路はさほど使われていなかったんじゃないかな。
奥ノ山もそこそこ広く、ここには妙見社があって、元服などの儀式が行われていたとされています。
想像以上の規模で、なかなか面白い城歩き。
とはいえ、朝9:00ちょっと前から歩き始めて、ここまで見物客には誰にも会わずでした。
空いているのもこの城のいいところだなというところで、続きは別記事に。
【今日のワンポイント】
・本佐倉城が城として機能していたのは、1400年代後半から1615年まで。戦国初期の土塁や空掘を多用した造りになっていますね。
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