酒々井町の史跡を巡りながら、次なる目的地に向かって
本佐倉城の南側は、外郭を含めた丘に囲まれています。
なのでGoogleマップに頼らないと方向がつかめず、ここを曲がればいいのかな。
お、真新しい行き先表示があるじゃないですか。
XXコースとも示されているので、散策コースにもなっている様子。
成田空港に近い地なので外国人観光客ターゲット?
いや、歴史散策好きの中高年向けでしょうね。
ん? 上岩橋貝層?
千葉県に多くある貝塚かな。
いや、関東ローム層の下、約40万年前から8万年前までこの地が海だった時代の貝の化石。
当時は上総丘陵は島で、東京湾から鹿島灘までは海の底だったのか。
縄文時代には下総台地が陸地化、鹿島灘から霞ヶ浦、利根川繋がりで印旛沼も内湾に。
東京湾側とは繋がっていなかったようです。
化石が露出しているのは高さ6mほどの場所、地質学に詳しい人にはたまらない風景なんだろうな。
歩くこと15分ほどで到着したのは、酒々井の語源である酒の井の碑。
その昔、孝行息子が毎日一生懸命働いて、酒好きの親のために酒を買っていたそうな。
そんなある日、この井戸の水が美味い酒になっていたんだとか。
他の人が飲んでもただの水。
孝行息子の真心の証しと、村人は讃えたというお話。
う~ん、儒教教育でありそうな話だけど、この一件が地名にまでなったというのはどうなのか。
それまで地名はなかったの? 地名にしようと誰が決めたの? などなど。
まぁこういう話は、そっと素直に聞いておくだけにしておいた方がいいものですね。
どれどれ、中を覗いてみよう。
… 酒どころか、水もないですね。
石の部分が元々の井戸なんだろうか。
そうだ。
日本酒の聖地のような場所なので、この井戸の近辺で日本酒フェスをやったりするといいんじゃないかな。
酒の井の碑近くにある勝蔵院、ここには不動明王が祀られています。
何となく寄っただけですけど、屋根まで紅いお堂はいい色合いですね。
このお寺も碑も、かつては酒々井宿のなかにあったもの。
当時がさぞかし賑わっていたんだろうなと。
酒々井宿を南に歩いて、国道296号線と国道51号線の交差点の先にある経胤寺、ここは大きくて立派な寺だったな。
1143年、千葉家五代常胤の開基で当初は常胤寺、江戸時代に佐倉城主の戸田忠昌によって寺号は経胤寺に。
本堂は1675年建立で、酒々井町最古の木造建造物として文化財指定されているんだそうです。
ようやく目的地近く、ここまで結構歩いたな。
お、こんなところにも神社が。
香取神社、毎年7月第3土曜日に獅子舞があるんだとか。
江戸時代からの伝承、これも酒々井町の文化財指定だそうです。
獅子舞よりも面白いのは、境内にある欅(ケヤキ)。
「千葉県一 大欅」という看板が立っています。
ところが、数値上は地元法華経寺の欅の方が大きいらしく、この欅は「千葉県二 大欅」らしい。
看板の文字に横棒を一本加えて… 、そんな悪戯、しちゃだめですよ。
酒々井にも、意外に面白い史跡があるものだなと。
酒の井の碑
印旛郡酒々井町酒々井
043-496-5334(酒々井町生涯学習課)
勝蔵院
印旛郡酒々井町酒々井字馬場127
043-496-5334(酒々井町生涯学習課)
経胤寺
印旛郡酒々井町 本佐倉21-1
0434-96-0606
香取神社
印旛郡酒々井町馬橋1
043-496-5334(酒々井町生涯学習課)
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