赤山陣屋、または赤山城。
そんな城が江戸時代にあったなんて、これまで全く知らずでした。
鳩ヶ谷宿を歩こうとGoogleマップを眺めていた時に偶然発見して、これは現地に行ってみないとなと。
大まかな場所は、首都高川口線と外環道の交点の東南東、埼玉高速鉄道だと新井宿と戸塚安行のちょうど真ん中あたり。
二つの高速道路に挟まれた場所なので、少々行きにくいところです。
いざ現地に着くと、そこにはだだっ広い田舎の風景があるのみ。
知らずに行っても、ここに城があったなんて誰も思わないでしょうね。
遊歩道の入り口には、かつての城の姿が解説されています。
広さはなんと、大阪城とほぼ同じ、広大な敷地に堀もしっかりと巡らされていた陣屋なので、赤山城とも呼ばれていたんだとか。
ゴミや犬の糞の看板が目立ちますけど、ここがかつての本丸。
平城だったとはいえ、なんでこんなに「何もない」のか疑問ですよね。
ここの城主は伊奈家、そう聞いて伊奈忠次の名前が出てくる方は歴史オタと言えるんじゃないかなと。
伊奈忠次は、利根川の東遷や江戸周辺の治水・開墾に尽力した大名。
その後、子孫が関東代官としてこの地に陣屋を構えています。
5代忠順は富士山の噴火で困窮した被災者救済に尽力、10代忠尊は天明の大飢饉に際して備蓄米を江戸市中に放出するなど、庶民派の当主が多い家系のようです。
1792年に伊那家は改易、陣屋の建物や家臣の家は壊され、土地は払下げに。
なるほど、200年以上も前にこの状態になってしまったのなら仕方ないですね。
現在は空堀が復元されるなどしていますけど、もっとそれらしくすればいいのに。
高速道路で分断されたとはいえ、逆にいえば遠方からは交通の便がいい訳で、観光客もそれなりに来るんじゃないかと思うんですけどね。
オタクな歴史観光の地、ご興味があればどうぞ。
赤山陣屋跡
048-222-1061(川口市立文化財センター)
埼玉県川口市大字赤山字陣屋敷他
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