船橋の隣は「海神」という地名。
変わった名前だなと船橋市のHPを調べてみると、以下のような記述がありました。
「地名の由来としては、次のような伝説が有名である。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が、当地へ賊徒平定にやって来たとき、海上に光り輝く船があった。近づいてみると、柱に神鏡がかかっており、それを浜に持ち帰り、祀った場所が海神である。」( 海神の歴史と地名の由来 )
なるほどねぇ。
秩父もそうでしたけど、日本武尊は関東で大活躍だったんだな。
その海神では、通り道にあった「海神念佛堂」に立ち寄ってみました。
念佛堂の建物は昭和の平屋住宅みたいで今一つ趣がないので、敷地内の観音堂を撮影。
これは1701年に神田の商人である高麗屋が寄進したものなのだとか。
海神念佛堂は千葉街道と行徳街道が交差する付近、かつては人の往来も盛んだったんでしょうね。
今日では総武線の線路、車の往来が多い道路に囲まれて、ひっそりと静かな場所。
お墓のなかには、江戸時代初期のものもあるとのこと。
戊辰戦争での戦死者の墓もあるらしく、そうか、この近辺も市川・船橋戦争の舞台だったんだな。
意外なところに意外な歴史あり、ですね。
赤門のある大覚院にも寄ったところ、残念ながら工事中。
住宅地にポツンと立っている弘法大師像に、場違いな印象を受けてしまうのは私だけだろうか。
あれ、こんなところに浅間神社があったのか。
国道14号沿い、車で通ることが多いので、間口の狭いこの神社の存在には今まで全く気づかずでした。
よし、参拝してみるか。
階段を登ると、意外や意外、奥行きはかなりあります。
ざっと200mはありそうな様子、この広さは、江戸時代には参拝者も多かったのかもしれないなと。
狛犬も立派な岩に乗ってますね。
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