今日はそんなウォーキングの記事、JR総武線稲毛から稲毛海浜公園に、そしてJR京葉線の稲毛海岸まで戻ってくるというコースご紹介です。
史跡巡りと砂浜海岸の気持ちいい景色、トータル10kmほどのウォーキング。
ショートカットすれば、1万歩に十分収まるコースでした。
ランチの海鮮丼を含め、4つの記事に分けてアップしていきます。
稲毛に行く機会があったら、一度行きたいと思っていたのが『千葉市ゆかりの家・いなげ』。
清国最後の皇帝溥儀の弟、愛新覚羅溥傑が新婚生活を送った別荘なんです。
JR総武線の稲毛駅で降りるのは何十年ぶりだろう。
子供の頃、ここに住んでいた叔母を訪ねて来たとき以来じゃないかなと。
バスに乗って、高洲団地の方に行ったんだっけかな。
記憶にはほとんど残っておらずですけど、そのときからさほどには変わっていなさそうな景色の道を歩き南西を目指します。
『千葉市ゆかりの家・いなげ』は、稲毛浅間神社の麓に。
ほとんど人が来ないようなところなので、コロナ禍でも閉鎖はしていなんですよね。
雰囲気のいいお庭、日向ぼっこに良さそうな縁側。
緑に囲まれたお屋敷は、大正初期の建築だとのことで、当時この近辺は別荘地だったとのこと。
こんな立派な家が何軒も建っていたんでしょう。
室内にも入ることができて、天井は溥傑がベッドで寝るため少し高めに改装されているとのこと。
豪奢な造りではないものの、どことなく洒落た鴨居や電灯が上品。
ボランティアガイドさん、様々コンパクトに解説してくれるのがありがたいですね。
溥傑の奥さんは嵯峨浩(ひろ)、昭和天皇の遠縁に当たる方で、要は政略結婚。
1937年にここで半年を過ごした後に満州に行くことになり、終戦後は家族離散、溥傑はロシアの強制収容所に収監され、再び会えたのは1961年とのことです。
溥傑は1990年に再びこの地を訪れ、新婚当時を偲ぶ漢詩を残しています。
亡くなったのは1994年で、そんなに最近までご存命だったということに驚き。
以下、溥傑の詠んだ漢詩の訳です。(「千葉市ゆかりの家・いなげ」で頂いたパンフレットより引用)
「再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり
過ぎ去った歳月を顧みて再び千葉に来る。世の中はすでに大きく変わっているが、余齢をもって稲毛の旧居を訪れる。新婚当時は琴瑟相和して仲が良く、まるで夢のようだった。短い期間ではあったが想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった。」
「愛しい妻の姿と笑顔は今は何処に。昔のままの建物と庭を見ていると恋しい情が次々と湧いてくる。君と結婚したその日のことが目の前に浮かび、白髪いっぱいになった今にかつての愛の誓いを思い出すにはしのびない。
再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり二首を詠む」
千葉市ゆかりの家・いなげ」で頂いたパンフレットより)
溥傑は浩のことを深く愛していた、ということがわかりますね。
もう一つ、ボランティアガイドさんに確認できてよかったのが、私の記憶に残る稲毛の風景。
祖父に釣りに連れて行ってもらっていた1970年台、この近辺で砂浜を見たような気がしていたんです。
確認してみると、1970年代まで、ここでは潮干狩りができたとのこと。
やっぱり間違いじゃなかったんだなと。
さて、次はお隣の浅間神社にというところで、続きはまた明日。
千葉市ゆかりの家・いなげ
043-248-8723
千葉市稲毛区稲毛1-16-12
公開 9:00~16:30
無料
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