とある休日、この日は岩槻の街を歩いてみることに。
岩槻の印象といえば、東北自動車道の上り渋滞の時に一瞬、「ここで高速降りた方が速いかな」と思う出口という程度。
よくよく調べてみると、初期の埼玉県庁があった街で、江戸時代まで大きな城があって栄えていたんだとか。
埼玉県を巡っているこの冬場、城と聞けば行ってみるっきゃないですね。
錦糸町から半蔵門線・東武線に。
春日部で乗り換えて東岩槻駅に到着、お洒落なパン屋さんが駅前にデンとあるのは少々意外です。
パン屋さんとはうって変わって、いかにも昔からありそうな東岩槻ゴールデン横丁。
まだ午前中なので店はクローズしてましたけど、下手をすると吸い込まれてしまいそうな危険な魅力があるビルだな。
岩槻の街に入るには、元荒川を渡る必要があります。
元荒川は岩槻城の天然の堀、その昔の増水時は相当な水量があったんでしょうね。
この日は風がビュウビュウと吹いていて、橋を渡る時には眼鏡を飛ばされないよう押さえるほど。
家を出る時はこんな風吹いなかったよな、内陸は気候が違うのかな。
そういえば、駅前では呑み屋の提灯もぶっ飛ばされて道に転がっていましたよ。
最初の観光地は、城の北側にある鎧宮八幡神社。
案内板はないので場所はわかりにくく、石柱に刻まれた神社の名前も消えかかっています。
ここは小田原征伐時の岩槻城攻めの際、浅野長政(当時は長吉) 率いる豊臣軍が陣を敷いた場所。
岩槻城とは当時の元荒川流路を挟んだすぐ対岸にあって、浅瀬を渡って場内に攻め入ったんだそうです。
豊臣軍には本多忠勝や鳥居元忠といった徳川家臣も参陣しており、総勢は20,000とも。
ここからだけではなく南側の新曲輪からも攻撃、力攻めだったんでしょう。
守兵2,000で持ち堪えたのは3日で、半数は戦死したとのこと。
豊臣方にも相応の犠牲は出たと思いますけど、ネットではその数は発見できずでした。
赤間堀緑地、元荒川の流路だったんだな。
当時の面影は全くなく、ただ静かな林にしんみりと歴史を感じながら歩くオッさんの姿は、さぞや怪しげだったでしょうね。
おぉ、新正寺曲輪の碑があるのか。
東武線の線路近くで、これより南側は城内の沼堀だったようです。
新正寺曲輪は広大で、ここに大軍に入られると大手口からも搦手口からも攻められるので、守兵側も必死に守ったはず。
さぞや激戦だったんだろうな。
その新正寺曲輪にある岩槻総鎮守、久伊豆神社にお参りというところで、続きはまた明日。
【今日のワンポイント】
・豊臣軍の岩槻城攻め、鎧宮八幡神社にまつわる伝説があるんだとか。曰く、ここの神様が、豊臣軍の集結を久伊豆神社の大明神に伝えようと元荒川を渡ったので、豊臣軍は浅瀬を知ることができたんだそうです。親切が仇に、という典型例ですね。
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