・見晴台への往復で体力回復、阿夫利神社下社の境内をじっくりと散策。江戸時代の絶景や、川越との意外な繋がりなど、歴史の深さに触れるひととき。
見晴台までの往復で、どうやらだいぶ元気が戻ってきたような。
コースは平坦、柵も整備されているので恐怖感もない森林浴のようなコースで、すっかり疲れも癒されたんでしょう。
いよいよ阿夫利神社へ。
ここもまた長い階段から始まるんですけど、綺麗に整備されているし段差も低いので問題なし。
思い出してみれば、以前一緒に来た両親もここをしっかりと登りきったわけです。
アスリート並みの強靭な肉体が必須というわけではなく、自分のペースさえ守れば誰でも安全にたどり着ける、人に優しい造りなんですよね。
最後の鳥居をくぐって拝殿へ。
ここ大山阿夫利神社は、第10代崇神天皇の頃に創建されたと伝わる二千年以上もの歴史を持つ古社。
山頂に鎮座する本社に対し、ここ中腹にあるのが下社です。
古くから雨乞いの神様として信仰を集め、「あふり」は「雨降り」に通じるとされ、古来より農民たちの切実な祈りを受け止めてきたのでしょう。
源頼朝や徳川家康といった名立たる武将たちからも厚く庇護されたという、関東屈指の霊山でもあります。
振り返ると、おぉ、いい眺め。
今日は春霞のせいか少しぼんやりとしているものの、遠くに江の島のシルエットを確認できます。
空気が澄んでいれば、周囲の海や三浦半島まで見渡せるさぞかし美しい風景なんでしょう。
江戸時代の人々も、厳しい山道を登り切った先にあるこの絶景に強く惹かれたからこそ、こぞって足を運んだんだろうなぁ。
境内を巡って出会う、歴史の断片と過酷な現実
境内で師匠がしきりに関心していたのが、この「川越」の文字が刻まれた水桶。
「川越市じゃなくて『川越町』なんですよ。こりゃ相当昔のもの…あ、明治時代ですね。」と。
実は、川越の氷川神社の祭神は大山阿夫利神社の祭神の娘にあたるという、深いご縁があるらしい。
そのため川越の職人たちが大山詣りを行う「大山講」が盛んで、こうした奉納物が残されているのだとか。
遠く離れた埼玉の川越と神奈川の大山が、信仰の道で深く繋がっていたという歴史のロマンですね。
そしてふと横を見ると、本社(上社)へと続く登山道の入り口。
見上げるほど急勾配で、しかも延々と続く果てしない石段の壁です。
「うわぁ…こりゃ厳しいですね…」「うん、今日の我々が挑めるレベルじゃない…」
見晴台への平坦な道で回復した体力も自信も、この圧倒的な光景を前に見事に打ち砕かれ、2人してただ絶句するばかり。
気を取り直して境内を散策すると、ユニークな「豆腐の碑」を発見。
大山といえば、良質な水で作られる大山豆腐が名物ですね。
大山詣りの参拝客に、地元の人々が精進料理として振る舞ったのが始まりだとか。
手のひらに乗るあの柔らかい豆腐に、立派な石碑が建てられているというギャップがなんともシュール。
巨大な木太刀を担いだ「大山詣り」の像。
江戸時代、鳶などの職人たちが商売繁盛を願って、この重い木太刀を江戸から担いで奉納しに来たそうです。
手形不要の気軽な小旅行として、当時の人口の5分の1が訪れたという一大レジャー。
駅前にあった解説版の文章を思い出して、彼らの底抜けの体力と信仰心に改めて感心です。
「あ、そういえば。ここからお堂の地下に入れるんだよね。」と私。
拝殿の下には、「地下巡拝道」と呼ばれる薄暗い通路が設けられているんです。
中には大山名水が湧き出ており、お守りの霊水として持ち帰ることも可能。
静寂に包まれたひんやりとした空間を歩くと、心がすーっと洗われるような神聖な気分を味わえます。
立派な銅像。こりゃ一体誰だ。
前回来た時も見ているはずですけど、まるで記憶がない。
調べてみると、幕末から明治にかけて活躍した国学者・医師の「権田直助」という人物。
廃仏毀釈の嵐の中で、大山阿夫利神社の復興と神道界の発展に大きく貢献した偉人だそうです。
知らない歴史が、まだまだあちこちに眠っているものですね。
終わりに
そんなこんなで、見どころ満載の阿夫利神社下社への参拝も無事に終了。
山頂アタックこそ断念しましたけど、江戸から続く信仰の歴史と豊かな自然を十分に堪能することができました。
さて、そろそろケーブルカーの駅に向かって下山しようかというところで。
この続きは、また明日のブログ記事にて。
【おまけのワンポイント】
・神社仏閣を訪れる際、そこにある石碑や銅像の意味を知っているだけで、見え方が全く変わってくるもの。今回の川越の水桶や権田直助の像も、背景を知ればただの古い物体から「歴史の証人」へと早変わりです。その場でスマホを使って調べられるって、便利になりましたねぇ。
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