目にした回数は数知れずですけど、行くのは今回が初めて。
今日はここに寄って、ランチを食べて木更津のアウトレットに寄って帰るのみと、時間に余裕があったんですよね。
館山城の駐車場、稜線からチョコっと見えているのが天守閣です。
館山城に天守があったのかどうかは不明、なので分類は模造天守。
千葉県の模造天守は1970~80年代に建築ブームだったようで、館山城は1982年建造。
本丸に登る坂、写真では真っ平の道に見えますけど、実は結構な勾配。
普通に歩いても、途中で息が切れるほどです。
ふぅ、やっとこさ本丸に到着。
天守の中は「里見八犬伝」の展示となっていて、撮影は禁止。
里見といえば八犬伝、我々世代には真田広之と薬師丸ひろ子の映画、下の世代には「ドラゴンボール」のネタ元と言うと通りが良いのかな。
そういえばNHKの人形劇もありましたけど、観た記憶はないんだよなぁ。
三国志とゴッチャになっているのかも知れませんけどね。
「里見八犬伝」は、江戸時代後期の大人気長編小説。
どうでもいいですけど、作者の滝沢馬琴生誕の地の説明板を清澄白河で観たことあります。
天守4階からの眺め、なかなか壮大なものですね。
正面奥に見えている黄緑の広いエリアは海上自衛隊の館山航空基地、その奥の濃い緑のこんもりが沖ノ島。
そういえば、沖ノ島は新型コロナ禍で閉鎖でした。
ところで、館山城って里見氏にとってどんな城だったんだろう。
里見氏は1614年に大久保忠隣失脚に連座して鳥取の倉吉に転封に、その後1622年に改易となるんですけど、転封になる直前に居たのが館山城。
そしてこの城に移ってきたのは1591年、23年とさほど長くはなかったんです。
歴史を辿ると、里見氏が白浜城に入ったのが1445年で、稲村城には1491年に移動というから46年。
稲村城も43年で離れ、久留里城には1535年、岡本城も併用したのが1571年からで、いずれも1590年頃に引き払って館山城にという流れです。
久留里城を引き払ったのは、小田原征伐時に上総を没収されてしまったからですけど、里見氏は頻繁に本拠地を変えてたことは間違いなし。
強いていうなら、55年間居城だった久留里城が里見氏の本拠地だったと言えるかもしれないですね。
城山の麓にある博物館が本館で、天守閣の八犬伝博物館と合わせての入館料が400円。
まぁお得といえばお得ですけど、せっかく海の綺麗なこの地に来て、敢えて博物館を観るかというと微妙かな。
雨が降った時はここに、って感じですかね。
八犬伝博物館
0470-23-5212
館山市館山351-2
営業時間 9:00~16:45
休館日 月、祝祭日翌日,年末年始
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