なんやかんやと用事があって、今日はブログ更新がこんな時間になってしまいました。
いや〜疲れた。
今日も雨の合間をぬって花の写真を撮ってきましたので、またいずれご紹介することにして、ひとまず
昨日の記事の続き、古河の城址巡りについて片付けておくことにします。
古河歴史博物館の後に向かった先、獅子ヶ崎の土塁跡です。
歴史博物館から徒歩5分程、畑風景の先にある茂みのなかに、突如として出現するのが獅子ヶ崎の土塁跡。
竹藪の下がそれで、案内の図がいくつかあって最も史跡らしい場所です。
そもそも古河城の城郭が全く残っていないのは、渡良瀬川の治水のために完全に破壊したからなんだとか。
往年の立派さはWikipediaの図がわかりやすいと思います。
かつての姿が
これ、現在の地図と重ね合わせたのが
この図です。
両者ともに「獅子ヶ崎」の文言が読み取れると思いますけど、市街に残っている古河城は北東側の半分弱、ここを巡る程度しかできなくなっているというのはちょっと寂しいですね。
獅子ヶ崎の向かいに残っているのが、この家老屋敷の門。
今日でも当時の威厳は残っていますね。
続けて向かった桜門は跡形もなし。
知らなければ通り過ぎてしまうような普通の家の庭(?)にこの石碑があるのみです。
追手門の石碑は多少目立ちましたけど、それでもわざわざ観光に来るような人はそれほどいないでしょうね。
頼政神社近くの公園…といえるかどうか。
ここも古河城内だったんでしょうけど、人っ子一人いないような空き地になっていました。
そのまま河原に出て、ここが城だった場所なのかなと想像しながら15分ほど歩いたところ。
え、本丸がここにあったのか。
ここまで何もないと、この表示を信じるしか無いですよね。
渡良瀬川の氾濫なんて記憶が無いけど、ここまで対策をしたが故に今日があるんでしょう。
地形を最大限に利用した古河城。
当時は渡良瀬川に守られた要害だったんですね。
駅に戻る途中、日光街道沿いで見かけた最後の史跡が御茶屋口です。
自分の足で巡ることで、当時の壮大さ、立派さを実感。
こういう歴史の楽しみ方、ちょっとハマりそうです。
駐屯地記念行事から始まった古河紀行、以上で終了です。