モーションウィジット

2025年10月16日木曜日

【旅行】明治維新で取り壊されても…市民の願いが蘇らせた「赤瓦の天守」鶴ヶ城の奇跡

【この記事のポイント】
・旅の2日目、磐越西線で会津若松へ。戊辰戦争で落城した悲劇の鶴ヶ城、そして赤瓦を纏って蘇った美しい天守を眺めながら、会津の歴史の深さにしんみり。


旅の2日目。

郡山駅での腹ごしらえを終え、磐越西線に揺られること1時間ちょっと。
今回の旅のハイライト、会津若松に到着です。

さて、ここから目的地の鶴ヶ城までは3km弱。
のんびりと、城下町の風情を楽しみながら歩いていくことにしましょう。

城下町を歩き、まつりの気配を感じて




会津若松の駅は、鶴ヶ城からは少し離れた場所。

これは明治時代に鉄道が敷設された際、城下町の景観保護や商人たちの反対の声があって、あえて城から少し離れた場所に駅が造られたためなんだとか。
日本の多くの城下町で見られる、歴史的な経緯です。


街を歩いていると、至る所に「会津まつり」のポスター。

会津まつりは、毎年9月下旬に開催される、会津若松市最大の秋祭り。
中でも、歴代藩主や新選組などに扮した総勢約500名が練り歩く「会津藩公行列」は、まさに圧巻の一言。
これを観るために、はるばる会津若松までやってきたというわけです。


城に近づき、まず目に飛び込んできたのがこれ。
工事現場などで見かける単管バリケードが、なんと会津の郷土玩具「赤べこ」のデザインになっているじゃないですか。

赤べこはその昔、この地方で疫病が流行した際に、赤い牛が病魔を払ったという伝説に由来する厄除けの縁起物。
ご当地愛に溢れた、なんとも可愛らしい光景だなと。

戊辰の悲劇を越えて、蘇った名城



お、見えてきましたよ鶴ヶ城。
歴史は古く、1384年にこの地の領主であった蘆名直盛が、「東黒川館」を築いたのが始まり。

後に蒲生氏郷が城を大改修、七層の天守を築き「鶴ヶ城」と命名。
会津のシンボルとして、その威容を誇ったんだそうです。


この鶴ヶ城の名を歴史に深く刻み込んだのは、やはり幕末・戊辰戦争でしょう。

新政府軍の猛攻に対し、会津藩は、婦女子や少年兵までもが戦いに加わり、約1ヶ月にも及ぶ、壮絶な籠城戦を繰り広げた。
結果として城は開城するものの、「難攻不落の名城」としてその名を天下に轟かせたんですよね。


明治維新後に城の建物は全て取り壊されてしまいましたけど、1965年、市民の熱い願いによって天守は鉄筋コンクリートで外観復元。

2011年には、幕末当時の姿を再現するため、屋根瓦を黒瓦から全国でも珍しい「赤瓦」へと葺き替えています。


城内には、「會津十楽」と名付けられた飲食店やお土産屋さんが集まるエリアも。

会津の郷土料理や地酒が楽しめるようで、ちょっと寄ってみたい気もしましたけど…

そろそろまつりの会場が賑わい始める時間。
今日は、ぐっと我慢することにしましょう。

白虎隊の悲劇と、荒城の月




青空に、白い城壁と赤い瓦がよく映える。
戊辰戦争の悲劇の舞台、なんてことが信じられないほどの美しい姿です。

その凛とした佇まいは、数々の苦難を乗り越えてきた会津の人々の強さを象徴しているかのようにも見えます。


本丸の一角には、「荒城の月」の詩碑。

作曲家・滝廉太郎が少年時代を過ごした仙台の青葉城址、そしてこの会津若松の鶴ヶ城址から着想を得て、あの名曲を作ったと言われているんだとか。

栄華を極めた城が今はただ、石垣だけを残して静かに佇む。
その物悲しくも美しい情景が、確かにここにありました。

最後に




さて、城内を散策しているうちに、いよいよ会津まつりが始まりそうです。

さて、どんな行列が見られるんだろう。
楽しみだというところで、続きはまた明日。




鶴ヶ城
〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
0242-27-4005
営業時間 8:30 ~ 17:00 (天守閣への最終入場は16:30まで)
休館日 年中無休

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