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2025年10月18日土曜日

【旅行】綾瀬はるかも登場!400年の歴史が動く会津まつりの「藩公行列」は感動の連続

【この記事のポイント】
・鶴ヶ城での藩公行列見物を終えて次の撮影スポットへ。城下町の角地で行列を間近に体感。戊辰戦争の悲劇を象徴する白虎隊、騎乗姿の中野竹子、最後には特別ゲストの綾瀬はるかまで登場して、会津の歴史の奥深さと祭りの華やかさを満喫。


鶴ヶ城の本丸で「会津藩公行列」を一通り堪能した後、次の撮影スポットへと移動を開始します。

行列が進むメインルートの追手門は、当然ながら人でごった返している。
ここは人が少ない二の丸を経由して、城外へ出るのが賢明な判断でしょう。

城下町で待ち受ける、歴史の続き




まず渡るのは、朱塗りの欄干が美しい「廊下橋」。
かつてこちら側が城の正面玄関(追手口)だった時代には、その名の通り屋根のついた立派な橋が架けられていたようです。


城を出て、住宅街をひたすら北へ。
私が次の撮影ポイントとして選んだのは、博労町(ばくろうまち)通りへの曲がり角です。

行列はこのコーナーをゆっくりと曲がることになるはず。
なのでシャッターチャンスも多いだろう、そんな算段です。

戦国の覇者から、幕末の志士まで





しばらくすると、おぉきたきた。
昨日の記事ではご紹介しきれなかった武将たちをピックアップしていきましょう。

まずは、独眼竜・伊達政宗。
蘆名氏を滅ぼした後、一時はこの会津も、彼の支配下にありました。

ところが天下統一を進める豊臣秀吉の「奥州仕置」により、会津は取り上げられてしまいます。
もし、政宗がもう少し早く生まれていたら… なんていう歴史のifを考えずにはいられませんね。


お、昨日もご紹介した千田先生扮する加藤嘉明の部隊。

先導する鉄砲隊がいきなりこちらに向かって、鉄砲を構え…
「撃てー!」の号令とともに、「パパパーン!」と、空砲の音が鳴り響きます。

沿道の観客からは、歓声と拍手が。
こういう観客を楽しませるパフォーマンスに遭遇できるのも、祭りならではの醍醐味。


こちらは、「奴(やっこ)隊」、大名行列の華ともいえる存在です。

重さ数十kgもある毛槍(けやり)や挟箱(はさみばこ)、これを軽々と投げ渡しながら進んでいくその妙技。

独特の掛け声も、祭りの雰囲気を盛り上げます。
ぜひ動画で、その迫力を感じていただきたいものです。


そして江戸時代の会津藩の礎を築いた、初代藩主・保科正之。
彼は二代将軍・徳川秀忠の四男であり、三代将軍・家光の異母弟という徳川宗家に極めて近い存在でした。

その優れた人格と政治手腕で善政を敷き、会津藩23万石の基礎を固めた名君。
彼が定めた「会津家訓十五箇条」は、幕末に至るまで会津武士の精神的支柱となっていたんですよね。



幕末の動乱期、長岡藩家老の河井継之助が登場。

戊辰戦争において長岡藩は武装中立を目指しましたものの、新政府軍との交渉が決裂。
最新鋭のガトリング砲を駆使して、新政府軍を相手に壮絶な戦いを繰り広げました。

長岡城が落城した後、会津へと落ち延びる途中で戦傷がもとで亡くなったという人物。

会津戦争の悲劇と、凛と咲く花々





行列はいよいよ会津戦争の時代へ。
家老・西郷頼母(たのも)や、萱野権兵衛(かやのごんべえ)といった藩の重臣たちも姿を表します。

鳥羽・伏見の戦いの後、会津藩は「朝敵」の汚名を着せられ、新政府軍の標的に。
圧倒的な兵力差の中、会津藩は藩士だけでなくその家族、そして少年兵までもが戦いに加わり、国を守るために命を散らしていきました。


その象徴が言わずと知れた「白虎隊、16歳から17歳の少年たちで構成された予備兵力でした。

戸ノ口原の戦いで敗走し、飯盛山へと逃れた彼らは、そこから見えた鶴ヶ城が炎に包まれているのを落城と誤認。
「城は陥落した。もはや生きて虜囚の辱めは受けられぬ」と、この地で自刃を遂げたという悲劇。

その若い命の儚さに、胸が締め付けられますね。


行列に登場する人々のほとんどは、地元の名士や一般公募で選ばれた方々です。

その中で、ひときわ目を引いたのが、騎乗姿のこの凛々しい女性武者。
中野竹子に扮した地元の女子高生だそうです。

中野竹子というのは、会津戦争で「娘子隊(じょうしたい)」を組織し、薙刀を振るって勇猛果敢に戦った女性。
美人だったそうですけど、この女子高生も負けず劣らずかも。



そして美人といえば、特別ゲストの綾瀬はるか。

NHKの大河ドラマ『八重の桜』で、主人公の山本八重を演じていたことはまだ記憶に新しいですね。
私もあのドラマは、毎週欠かさず見ていました。

さすがは長年にわたって、第一線で活躍されている女優さん。
同じ日本人にこんなに綺麗な人がいるんだな、そう感心するほどの圧倒的な華やかさでした。

最後に



というわけで、鶴ヶ城と城下町でじっくりと堪能した会津藩公行列。
ここまで来てよかった、そう思える充実感いっぱいです。

よし、それじゃあそろそろ、会津若松駅に向かうとしますか。
というところで、続きはまた明日。




【おまけのワンポイント】
・『八重の桜』が放送されたのは2013年、もう12年も前のことなんですね。その後、綾瀬はるかは会津まつりに10回も参加しているんだそうで、義理深い人なんだなと感心です。

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