・千駄ヶ谷からのウォーキングを経て明治神宮へ。生まれ変わった原宿駅を横目に、広大な参道を進みます。江戸時代の大名屋敷跡という歴史、パワースポットとして有名な「清正井」の謎、そして日本一の木造大鳥居の迫力に、都会の喧騒を忘れさせてくれる神聖な空間を歩きました。
千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で思いがけずミニチュア富士登山を楽しんだ後、いよいよ本来の目的地である明治神宮へ。
新しくなった原宿駅と、神宮橋
JR原宿駅を横目に、神宮橋を渡ります。
しばらく原宿には来ていませんでしたけど、駅舎がずいぶんと新しくなったような。
調べてみると、やはり2020年の東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、旧駅舎の隣に新しい橋上駅舎が建設されたんだそう。
旧駅舎のレトロな雰囲気も好きでしたが、これも時代の流れでしょうね。
悠久の森へ、南参道を進む
南参道からのアプローチ、巨大な一の鳥居をくぐるとそこはもう別世界。
都会の喧騒が嘘のように静まり返り、ひんやりとした空気が肌を撫でます。
ひたすら続く、この長い南参道。
そういえば、子供の頃に親に連れられてここに来たのは七五三の時だったか。
千歳飴を貰ったことが子供心に殊の外嬉しかった。
そんなおぼろげな記憶が蘇ってきます。
この広大な明治神宮の敷地、江戸時代には一体何があったのだろうか。
その答えは、参道の脇にあった説明板に書かれていました。
ここは、江戸時代には熊本藩・加藤家、彦根藩・井伊家の下屋敷があった庭園だったとのことです。
明治神宮御苑の面積は、なんと83,000平方メートル。
都心の一等地、これだけ広大な土地を残してあるというのは凄い。
園内にあるパワースポットとして有名な「清正井(きよまさのいど)」。
名前から加藤清正に関連する井戸なのだろうとは思っていましたけど、先ほどの解説にあった加藤家の下屋敷で繋がったなと。
ん、ちょっと待てよ。
加藤家って、清正の息子の代で改易、つまりお取り潰しになったはずじゃ…
加藤家は1632年にお家断絶。その後、この土地は井伊家のものになったんだそう。
なるほど、説明板にあった「加藤家、井伊家の下屋敷の庭園」というのは、同時期にという意味ではなく時代にズレがあったんですね。
それでも「清正」の名が残っているのは、清正が掘ったという伝説と、そのカリスマ性が後世の人々にとっていかに大きかったかの証左と言えるでしょう。
感謝の形、奉献酒樽とワイン樽
参道を進むと、右手に見えてくるのがずらりと並んだ奉献酒樽。
全国の酒造メーカーから、明治神宮に奉納されたもの。
これは日本の基幹産業であった農業の発展と、豊作への祈りを象徴しているんだそう。
その向かい側、左手にはワイン樽が積まれています。
これは明治天皇が西洋文化を積極的に取り入れ、特にワインを好まれたことにちなんだもの。
フランス・ブルゴーニュ地方の醸造元から奉納されたものだそうです。
和と洋がこうして自然に共存しているのも、明治という時代を象徴しているようで面白い。
日本一の大鳥居をくぐり、本殿へ
さて、見えてきたのは第二の鳥居、大鳥居(おおとりい)。
高さ12メートル、幅17.1メートルと、木造の明神鳥居としては日本一の大きさを誇るそうです。
この鳥居、実は二代目。
初代は落雷で破損してしまい、現在のものは台湾の丹大山(たんだいさん)で発見された樹齢1500年の檜を使って1975年に再建されたものだそうです。
静寂と緑に包まれた参道を歩いていると、心が洗われていくようです。
都心にこれほど神聖な空間が存在することの奇跡を感じながら、一歩一歩、歩みを進めます。
さて、いよいよ本殿へと近づいてきたところで、続きはまた明日。
明治神宮
東京都渋谷区代々木神園町1-1
03-3379-5511
開門・閉門時間 日の出と日の入りにあわせて月によって変更(詳細)
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