モーションウィジット

2026年1月31日土曜日

【ふるさと納税】和牛の脂を制御する「トマト戦略」。酸味で長崎牛のポテンシャルを最大化

【この記事のポイント】
・長崎県西海市から届いた最高級の「長崎牛」、いかにして胃に優しく、そしてポテンシャルを最大限に引き出して食すか。我が家が辿り着いた結論、それは「トマトすき焼き」。


以前のブログ記事でも触れましたけど、我が家は私も含め、妻も娘も「和牛の脂」に対しては少々デリケート。
一口目の感動は凄まじいものの、2枚も食べれば「もう満足…」という状態に陥ってしまうのが常なんです。

「脂の重さ」を沈静化:トマトがもたらす酸味の威力





長崎県西海市からふるさと納税の返礼品、非常に立派な「長崎牛すき焼肉」が冷凍庫に。

見事なサシが入ったこの芸術品を、いかにして味わい尽くすか。
私が導き出した答えは「トマトすき焼き」でした。

トマトに含まれるクエン酸には、牛肉の脂っぽさを和らげ、口の中をリセットする効果があります。

また、トマトのグルタミン酸と牛肉のイノシン酸が合わさることで、旨味の相乗効果も生まれるもの。
煮込むことでトマトの酸味が割り下に溶け出し、重厚な甘辛さに軽やかな輪郭を与えてくれるというわけですね。

ハードウェアの選定:デイリーコンパクトプレートの機動力





今回の調理には、象印の「デイリーコンパクトプレート」をセレクト。

そして具材は徹底してシンプルに、玉ねぎとトマトのみ。
まずはプレートに軽く火を通し、そこに長崎牛の先兵を1枚投入します。

まずは肉に焼き色をつけ、香ばしさ(メイラード反応)を引き出すのがコツ。
そこに割り下を注ぎ込み、香りが立ち上がったところで本格的な調理をスタートさせます。



3人分の肉をプレートに並べると、その巨大さに驚き。
コンパクトなプレートを完全に「専有」してしまうほどのスケールです。

1枚1枚が厚みを持ちつつも、大判であるというこのボリューム感。
視覚的な満足度も非常に高いレベルにありますね。

長崎牛の特徴は「洗練されたクリーンさ」





いよいよ、火が通った長崎牛を頂きます。

まずは、あえて何も絡めずにそのまま一口…
うん、これは美味い!

きめ細やかな霜降りが舌の上で瞬時に融解し、上品で甘い「和牛香」が鼻腔に。
肉質は驚くほど柔らかく、噛み締めるたびに感じる肉の旨味は、長崎の豊かな風土が育んだものなのか。

濃厚でありながらも、後味には雑味のない「洗練されたクリーンさ」、これが長崎牛の特性なんだそうです。

卵を不要とする「旨味のレイヤー」



今回はあえて卵を使わず、トマトの酸味と玉ねぎの甘みで肉を味わうことにしました。

完熟トマトのジューシーな水分が割り下に溶け込み、肉を優しくコーティング。
これを頬張ると、肉の力強さとトマトの酸味が見事にマッチしています。

玉ねぎのシャキシャキとした食感がアクセント、噛むほどに甘みが深まっていく。
この「さっぱりとした旨味の塊」は、当然ながら炊き立ての白米との親和性も抜群です。

肉一切れでご飯一杯を完食してしまいそうな、恐ろしいほどの食欲を誘発。
ご飯をセーブしながら食べ進めることになるんです。

結果として、1人4枚ずつ、計12枚。
最後まで飽きることなく、最高のコンディションで完食しました。

和牛の脂が苦手な方でも、この「トマトすき焼き作戦」を採用すれば、最高級肉を何枚でも楽しめる。
我が家のスタンダードになりそうな、大満足のディナーでした。

いや〜美味しかった、ご馳走さまでした。




【おまけのワンポイント】
・肉の旨味とトマトの酸味が溶け出した後の汁にご飯とチーズを投入すれば、最高の雑炊に。今回は残り汁が少なかったので諦めたので、次は割り下の量を増やすことにします。

2026年1月30日金曜日

【グルメ】干し柿とバターの危険な共鳴!『柿アンサンブル』が描く和洋折衷の最適解

【この記事のポイント】
・昨年夏に銀座『奈良まほろば館』で一目惚れした『柿アンサンブル』。干し柿の濃厚な糖度とバターの乳脂肪分は、口の中でどのようなハーモニーを奏でるのか。


昨年夏、銀座の『奈良まほろば館』に行った時、その独特の雰囲気に惹かれて購入した「柿アンサンブル」。
いつか食べようと冷蔵庫に保管していたんですけど、賞味期限が近づいてきたので食してみることにしました。

和洋折衷のバイナリ:干し柿とバターの危険な関係





パッケージには、「干した柿を幾重にも重ね、濃厚なバターでサンドしました」との説明。

日本古来の保存食である干し柿と、西洋料理の根幹を支えるバターって…
異なる二つの食材、果たして一つの食品として共存できるんだろうか。

先日体験した「水戸納豆ソフト」ほどの衝撃的な違和感はないにせよ、疑念を感じざるを得ない組み合わせです。

そもそも、「柿」という存在はどこまで「和」なんだろう。
気になってGeminiに問い合わせてみたところ…
「干し柿のベースとなる『柿』という植物のルーツは中国にありますが、それを乾燥させて保存食にする文化は、日本を含む東アジア全体で古くから独自に発展してきました。」

「ちなみに、木に成ったままでも甘い『甘柿』は、鎌倉時代に日本(現在の神奈川県川崎市あたり)で偶然発見された日本固有の突然変異種だと言われています。」
なんと、私たちが当たり前のように食べている「甘柿」は、中世日本の偶然が生んだ奇跡の産物なんですね。

多層構造の美学:視覚と味覚のレンダリング



さてと、食べてみるとしましょうか。
包丁を入れ、その断面を確認するところから「柿アンサンブル」の真価が発揮されます。



慎重にスライスすると、そこには琥珀色の干し柿が地層のように幾重にも重なり、中央にバターを抱え込んだ見事な模様が現れます。

その断面図は、まるで職人が丹念にレイヤーを重ねた精緻な工芸品のよう。
マクロレンズでじっくりとフォーカスを合わせたくなる美しさです。

意を決して一切れを舌の上に乗せると、まずは干し柿の凝縮された「和の糖度」が脳を刺激。
そこへ間髪入れずに、冷えたバターが体温でゆっくりと溶け出し、濃厚なコクと微かな塩気が干し柿の甘みを助長するんです。

「和」と「洋」の味が喧嘩するどころか、互いを補完し合うような、完璧なパッチワーク的美味しさ。
柿のねっとりとした食感と、バターの滑らかな口溶けが交互に押し寄せ、口内はまさにオーケストラの「アンサンブル」状態です。

これはもはやお菓子というよりは、濃いめに淹れた珈琲か、あるいは辛口の白ワインとあわせる大人のための嗜好品。

気づけば「賞味期限」の心配などどこへやら、あっという間に完食でした。

いや〜、美味しかった。

食わず嫌いという妙な先入観を取り除くことの大切さ、これを改めて実感したひととき。
奈良の知恵と、西洋の贅沢が融合したこの逸品。
銀座を歩く際には、リピート確定のリストに加えておこうと思います。




【おまけのワンポイント】
・柿の学名は Diospyros kaki。実は世界共通語として通用する、日本を代表する果物界の「グローバルスタンダード」らしいです。

2026年1月29日木曜日

【旅行】390円で辿る「知の深淵」。民具の壊れ方の美学と、維新の原動力『大日本史』の圧倒的重圧感

【この記事のポイント】
・旅の締めくくりに訪れたのは、『茨城県立歴史館』。江戸時代の旅日記から、民具の「壊れ方」という独自の視点、そして水戸藩が情熱を注いだ『大日本史』の圧倒的な重圧感などを実感。


今回の旅の最終目的地は、茨城県立歴史館。
入場料は企画展開催中のため390円、特別展なら690円、これらの合間なら180円と、コンテンツの質に対して非常に柔軟かつ合理的な価格設定です。

私たちが訪れた際は、「旅」をテーマにした非常に興味深い展示が行われていました。

時空を超えるトラベルガイド:江戸時代の「ツーリズム」





企画展「博物館でツーリズム!! ー江戸時代の旅日記をたどるー」は、「アナログ時代の移動ログ」の集大成っていう感じ。

江戸時代、寺社参詣や湯治などの大衆的な旅が一般化。
展示では旅日記を中心に、当時の旅行案内書や地誌、絵図を幅広く収集し、人々の移動の軌跡を多角的に紹介していました。

昔の地図は非常に細かく書かれていて、街道筋を追っていると時間が経過するのを忘れてしまいますね。

「群」としてのデータと、終焉の美学:民具の哲学





同時開催の「モノ×語り ー民具はがらくたか?―」という展示、これがなかなかユニーク。

民具が大量に保存されるのは、地域や時代ごとの微細なバリエーションを比較分析するための「母集団」が必要だから。
つまり個別の「一点もの」としての価値ではなく、共通性や違いを明らかにするためなんだとか。

モノそのもの以上に、その背景にある「人々の暮らしの変遷」を読み解くための重要な資料なんだそうです。



さらに衝撃的だったのは、「民具の壊れ方」というセクション。

民具は使われることで摩耗し、あるいは経年劣化し、災害に遭い、時には「使われないこと」で壊れていく。
モノの誕生から死、そして「転生」に至るまでのライフサイクルを、破損という現象を通して丁寧に追跡しているという感じでした。



実際に壊れた民具の数々を見ていると、道具としての天寿を全うした彼らに、一抹の寂しさと敬意を感じます。

地震で無惨に割れた壺も、鼻緒が切れて役目を終えた下駄も、どこか誇らしげな「戦死」の趣。
「形あるものはいつか壊れる」という真理を、これほどまでに饒舌に語りかけてくる展示も珍しいんじゃないでしょうか。

伝説の巨人と、撮影制限という「情報の壁」





会場を歩いていると、突如として筑波山に腰掛ける「ダイダラボッチ」が登場。

日本各地に伝わる国造りの巨人・ダイダラボッチですが、茨城では千波湖を作ったり筑波山を運んだりしたという伝説が残っています。

『常陸国風土記』にもそれらしき巨人の記述があり、古代人がこの雄大な地形をどう解釈したかを物語る興味深い存在。
スケールの大きさは、まさに「大自然の化身」としての圧倒的な存在感を放っています。



館内の展示は非常に充実しているんですけど、残念だったのが撮影制限の厳しさ。
貴重な資料の保護は理解できるものの、解説パネルまでもが撮影禁止で、情報の持ち帰りが困難なんですよね。

パネル撮影に制限がかかっている施設は珍しく、情報の拡散よりも「現地での体験」に重きを置くストイックな運営方針なんでしょうかね。

坂東武者の誇りと、水戸藩の巨大プロジェクト





おぉ、これは平将門なのか。

平将門は現在の坂東市付近を拠点に「新皇」を自称し、平安朝廷に公然と反旗を翻した坂東武者の英雄。
茨城の地は彼の革命の舞台であり、その勇猛果敢な精神は、後の地域のアイデンティティ形成に大きな影響を与えています。

今なお県内各地には将門伝説が残っているそうで、彼がいかに民衆から支持されていたかを静かに語り継いでいます。



そして、私が今回の訪問で最も圧倒されたのが、水戸藩の金字塔『大日本史』。

徳川光圀が編纂を開始したこの巨大な歴史書は、全397巻に及び漢文で綴られているんだそう。
皇室の正統性を中心に据えた「水戸学」の根幹となり、完成までには実に約250年という驚異的な時間を要したんだとか。

これが幕末の志士たちに火をつけ、明治維新の原動力となったのは、歴史のバタフライエフェクトと言えそうです。



最後に、水戸藩の悲劇的な結末を象徴する「天狗党の乱」について。
幕末、水戸藩の過激攘夷派・天狗党が一橋慶喜(後の15代将軍)を通じて朝廷に尊王攘夷に直訴すべく、京都を目指した無謀な進軍劇です。

厳冬の峠を越えて敦賀に達したものの、最終的には降伏し、350名以上が処刑されるという凄惨な結末に。
この内紛による人材の喪失が、維新の中心にいたはずの水戸藩が新政府から取り残される一因となったんですよね。

気づけば、390円という投資に対して、あまりに膨大な情報のインプットを受けた1時間弱でした。

納豆グルメに始まり、御岩神社や袋田の滝、そして茨城の歴史の深層に触れた今回の新春旅行。
この知的な充足感を携えて、2026年の日常へと戻ることにしましょう。

旅の連載もこれにて完結。
明日からは、またITやグルメ、日常のウォーキングといった通常運転の記事に戻りますので、どうぞよろしくお願いします。




茨城県立歴史館
茨城県水戸市緑町2‐1-15
029-225-4425
営業時間: 9:30 ~ 17:00(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始

2026年1月28日水曜日

【旅行】明治のモダン建築・旧水海道小学校と、天然痘に挑んだ先駆者。歴史館の屋外展示に潜む知の記録

【この記事のポイント】
・茨城県立歴史館にて、宮大工・羽田甚蔵の手による「旧水海道小学校」の圧倒的な存在感と歴史や質実剛健な農業高校校舎まで、知的好奇心を刺激する屋外展示の数々に触れる。


水戸には過去に何度か足を運んでおり、水戸城址や弘道館、偕楽園といった定番のスポットは既に巡ってきました。

そしてこの時期、偕楽園の梅はまだ蕾の段階。
今回は「水戸の歴史」をより体系的に把握するため、『茨城県立歴史館』へと向かいました。

明治の教育熱が生んだ傑作:旧水海道小学校本館





ネットで「茨城県立歴史館」と検索すると、必ず目にするこの美しい擬洋風建築。
てっきり歴史館のメイン棟だと思い込んでいたんですけど、正体は移築された「旧水海道小学校本館」でした。

1971年に移築された県の有形文化財。
この建物は1881年(明治14年)、豪商たちの寄付を資金源に、宮大工棟梁・羽田甚蔵(女優・羽田美智子さんの5代前)が設計・施工したんだとか。

当時はそのモダンな姿が評判を呼び、近隣の村々から親戚を頼ってまで通学させる「越境通学」が流行したほどの人気だったんだそうです。



入口のすぐそばには、「御影奉安所(ごえいほうあんじょ)」。
その重々しい佇まいから、役割はすぐに察しがつきますね。

ここは明治から戦前にかけて、天皇・皇后の写真(御真影)と教育勅語を火災や盗難から守るために設置された最重要施設。
小学校で最も神聖な場所とされ、かつての教育現場が持っていた宗教的・国家的な緊張感を今に伝えています。

当時の教育インフラが何を「核」として設計されていたかを物語る、非常に貴重な遺構だなと。

水戸が生んだ先駆者たち:横山大観と本間玄調





現在公開されている1階部分には、パネル展示を中心に茨城ゆかりの人物たちが紹介されています。
中でも私の興味を引いた二人の人物をピックアップ。



一人は、日本画の大家・横山大観。
水戸が生んだあまりにも有名な巨星です。

水戸藩士の長男として生まれ、岡倉天心らと共に近代日本画の革新に挑んだパイパー。
独自の描法を確立し、西洋画の空間構成を取り入れながら日本の精神性を描き続けました。

その革新的な姿勢は、現代のクリエイターにとっても大いなるインスピレーションの源なんだとか。



もう一人は、今回初めてその名を知った本間玄調(ほんま げんちょう)。
水戸藩の医療でが欠かせない重要人物なんだそうです。

江戸後期の水戸藩医であり、種痘(天然痘の予防接種)の普及に命を懸けた、日本の公衆衛生の先駆者。

当時、死に至る病であった天然痘に対し、最新の医学的知見をもって領民を救おうと奔走しました。
彼の情熱がなければ、より多くの命がこの地から失われていたかもしれない、真の英雄の一人といえる人物です。

ここでふと、歴史の悲劇が。
そういえば、幕末の孝明天皇も35歳の若さで天然痘により崩御されています。

皇室や公家は「穢れ」を極端に忌避、牛から採取したウイルスを使う牛痘接種を「異質なもの」として拒絶したといいます。
伝統的な価値観が、最新医療の導入を阻んでしまうとは、なんとも不幸なことですね。

対照的な校舎と、未来へのアーカイブ





敷地内にはもう一つ、歴史的な建物である旧水戸農業高等学校本館。
1935年(昭和10年)に建てられたこの校舎は、簡素ながらも質実剛健な昭和初期の学校建築の姿を留めています。

かつての農業教育の拠点として、多くの若者が土と向き合い、技術を磨いた学び舎。
明治の旧水海道小学校の華やかさと比べると非常に質素、それが当時の時代の要請や教育観を反映しているようで興味深い。



広大な庭園の片隅には、タイムカプセルも設置されていました。

1974年の歴史館開館を記念して埋設されたもので、当時の茨城の姿を未来へ届けるためのものが収められているんだそう。
2074年の開封予定となっており、現在進行形で「50年後の未来」へと歴史を送り届けている最中なんですね。

屋外の展示物だけでも、それなりに充実。
さて、いよいよ、本丸である茨城県立歴史館の内部へと足を進めるとしましょうというところで、続きはまた明日。




【おまけのワンポイント】
・敷地内はウォーキングコースとしても非常に快適で、季節ごとの植生を楽しみながら歩数を稼げそうです。

2026年1月27日火曜日

【グルメ】歴史館そばの隠れ名店。都内大盛り超えの量と職人技の海老天に、水戸の豊かさを胃袋で知る

【この記事のポイント】
・水戸観光の拠点「茨城県立歴史館」のすぐそばで見つけた『そばれすとらんつるや』。過度な装飾を排したその佇まいは、まさに「知る人ぞ知る」穴場だったなと。


常陸太田から水戸へと移動し、次なる目的地である「茨城県立歴史館」に到着。
広大な敷地に車を停めて、さて、まずは歴史を学ぶための「燃料補給(腹ごしらえ)」が必要ですね。

とはいえ、歴史館の周辺は住宅街で飲食店が極めて少ないエリア。
Googleマップを精査して見つけ出したのが、歴史館からほど近い『そばれすとらんつるや』でした。

「自家製麺」の誘惑:そばれすとらんの合理的な選択





お店の外観は、立ち食いそばのような簡素さとも高級な蕎麦専門店とも異なる、どこか懐かしい「レストラン」の風情。
店内は7割ほどの席が埋まっていましたけど、運良く4人掛けのテーブル席にスムーズにチェックインできました。



お腹の空き具合は「中程度」。
軽めに蕎麦か、それともうどんか…と思案していた私の視界に、「蕎麦自慢の自家製麺」という力強い一文が飛び込んできます。

うん、こりゃ蕎麦だな。

そして近くのテーブルに運ばれてきた「海老天もりそば」を横目で観察。
天ぷらが平らで、一見「かき揚げ」のように見えます。

この独創的なビジュアルに好奇心が刺激され、880円という良心的なプライスにも背中を押されてオーダーは決定。

期待を上回るボリューム:880円の「高密度」スペック




待つこと約10分。
運ばれてきた器を見て、思わず圧倒されます。

まず、蕎麦が盛られた器が非常に大きく、都内の大盛りサイズを優に超えています。
これで880円という設定は安い!



そして、謎だった天ぷらの正体も判明。
かき揚げではなく、中型サイズの海老天が5尾も贅沢に鎮座していたんです。

中心には鮮やかなししとうが添えられ、こちらもなかなかのボリューム。

よし、それでは頂きましょう。

味のレイヤー:甘めの出汁とサクサクの「衣」の秘密





まずは蕎麦つゆを一口。
出汁がしっかりと効いた少し甘めの味付け、どこか家庭的な温かさを感じさせるホッとする味わいです。

続いて、温かい蕎麦を啜ると…

自家製麺ならではの喉越しの良さが際立ち、温かい汁の中でも蕎麦のコシがしっかりと維持されています。
噛むほどに蕎麦の風味が優しく広がり、少し甘めのつゆとの組み合わせが心身を解きほぐしてくれるよう。

洗練された鋭さではなく、毎日でも食べたくなるような包容力を感じますね。



海老天を汁に浸して一口… おぉ。

衣はサクサク、海老はプリップリ。
880円でこの品質の海老を5尾も楽しめるなんて。

更に驚いたのは、蕎麦つゆにしばらく浸しておいても、衣が不思議なほどサクサクの状態を維持している点。
途中で衣がツルッと脱げてしまうこともないんですよね。

この「衣の構造」に何か秘密があるのか、Geminiにそのコツを尋ねてみました。

「つゆに浸してもサクサク感を維持するコツは、衣の水分を極限まで飛ばす技術にあります。
小麦粉に加えてコーンスターチやベーキングパウダーを絶妙に配合し、さらに冷水で粘り(グルテン)を出さないよう手早く混ぜる。
これを高温で一気に揚げることで、つゆの浸入を許さない強固な『サクサクのネットワーク』が形成されるのです。」

なるほど。この一皿には、長年培われた調理の技が詰まっているということなのか。

都内では到底考えられないレベルの満足度とクオリティ。
旅の最後を飾る食事が、これほどまでに素晴らしいものであったことに感謝です。

美味しかった、ご馳走さまでした。

さて、お腹も心も満たされたところで、いよいよ最終目的地「茨城県立歴史館」へと向かおうというところで、続きはまた明日。






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2026年1月26日月曜日

【旅行】「予約の壁」で西山荘を断念!転じて1500年前のハニワ空冷システムと獅子頭の威厳に触れる

【この記事のポイント】
・水戸黄門が晩年を過ごした隠居所「西山荘(せいざんそう)」の見学は、「予約の壁」で断念。近くの西山公園で1500年前の産業遺構に触れる。


常陸太田の観光、次なる目的地にするはずだったのが「西山荘(せいざんそう)」です。

太田城の西、静かな高台に位置するこの場所。
水戸藩2代藩主・徳川光圀公が元禄4年(1691年)から没するまでの約10年間を過ごした場所として知られています。

アナログの迷宮:西山荘と「予約の壁」





まず、この場所の歴史的背景をおさらいしておきましょう。

・西山荘は、光圀公が『大日本史』の編纂に情熱を注ぎ、自ら質素倹約を実践した茅葺き屋根の隠居所です。
・華美を排した平屋建ての造りは、光圀公の「民衆と同じ目線でありたい」という精神を体現しています。
・幕末には戦火で焼失しましたが、後に再建され、現在は往時の静謐な佇まいを今に伝えています。

せっかく常陸太田まで行くので、その空気感に触れたい。
そう思って出発前に公式サイトの利用案内を確認したんですけどね。

そこには思わず絶句するような「ユーザー体験(UX)の障壁」が立ちはだかっていました。

まず、入場には事前予約が必要らしく、用意されているのは「PDFの申込書」。
そこには「太枠をご記入の上、FAXまたは郵送で」という記載がありました。

さらに読み進めると「2021年にFAXは終了したため、郵送かメール添付で」との補足。
どちらにしてもPDFを印刷はせねばならず、プリンターはとうの昔に使わなくなったので持っていないんですよね。

さらに「公式オンラインチケット」というリンクはあるものの、無情にも「準備中」の文字も併記されていて、使えるのか使えないのかは不明という有り様です。

もしかすると、「行けば予約なしでも入れる」のかもしれず。
でもこれだけの「拒絶のシグナル」があるということは、私のような合理主義者は「行ってはいけない場所」なんでしょうね。

黄門様が見た風景:義公廟と西山公園



そこで方針を転換し、お隣にある「西山公園」へ。

ここは予約不要のオープンな空間。
光圀公が愛したであろう景色を、自分自身の足で稼いで楽しむことにしました。



公園内には「義公廟(ぎこうびょう)」が静かに佇んでいます。

義公廟とは、光圀公(義公)の遺徳を偲んで建てられた、格調高い霊廟建築。
簡素ながらも凛とした空気が漂い、光圀公の精神性が空間全体に満ちているのを感じます。

参拝者はここで、歴史上の偉人と対話するような静かな時間を過ごすことができます。



公園内の歩道は整備されており、絶好のウォーキングコースにもなりそう。

冬の乾いた空気が、水平線までのピクセルを研ぎ澄ます。
高台から望む太平洋は、光圀公の目にも映ったものなんでしょう。

西山公園は、約1500本の桜が植えられた茨城県内でも有数の桜の名所。
春には山全体が薄紅色に染まり、多くの市民が集う憩いの場になるんだそうです。

1500年前の遺構:元太田山埴輪窯跡の発見





散策の途中、ふと目に留まったのが「埴輪(はにわ)窯跡」の看板。
一見すると単なる山肌の空き地なんですけど、こんなところで埴輪を焼いていたとは。



駐車場横の説明板に概要が書かれていました。

・発見の経緯: 1962年、自然公園の駐車場造成中に偶然「発掘」されました。
・構造: 計11基の窯を確認。谷から吹き上げる上昇気流を物理的な「冷却・燃焼システム」として利用した登り窯だったようです。
・出土品: 5世紀〜6世紀頃、ここから馬や人物の埴輪が生み出され、周辺の古墳へとデリバリーされていました。

谷風を利用した空冷システム、発熱対策は1500年前にも大きな課題だったんでしょうね。
可能なら、AR(拡張現実)などで当時の窯の稼働状況を再現してほしいところです。

伝統とモダンの交差点:道の駅ひたちおおた





続いて訪れたのは「道の駅ひたちおおた」。
それまでの歴史的な静謐さから一転、非常にモダンで洗練された建築デザインが印象的です。



ここで目を引いたのが、展示されていた「獅子頭」達です。

常陸太田市の「山添獅子頭」は、数世紀の歴史を持つ伝統工芸品なんだそう。
桐の木を贅沢に使い、精緻な彫刻と重厚な漆塗りで仕上げられた姿は、工芸品というより美術品ですね。

特に大きく見開かれた眼と力強い顎の造形は、災厄を噛み砕く守護の象徴としての威厳を放っていました。

さて、時刻はお昼時。
ここの常陸秋そばでランチを…とも思いましたけど、今朝のバイキングがまだしっかり胃をを占有しています。

皆でと相談し、「ランチは水戸まで移動してからにしよう」と決定。
常陸太田の豊かな歴史の記憶をお土産に、車を走らせることにしました。




道の駅 ひたちおおた(黄門の郷)
茨城県常陸太田市下河合町1016番1
0294-85-6888
営業時間: 9:00 ~ 18:00
定休日:4月、6月、7月、10月、1月、3月の第2火曜日および1月1日、2日

2026年1月25日日曜日

【旅行】佐竹54万石のプライドを辿る。舞鶴城跡に息づく「源氏の血脈」と大ケヤキの威容

【この記事のポイント】
・茨城県北部、久慈川のほとりに広がる歴史の街「常陸太田(ひたちおおた)」に。名門佐竹家の栄華と、関ケ原という歴史の転換点がもたらした数奇な運命を辿る。


常陸太田という地名、ご存知でしょうか?
実は私も数年前までノーチェックだったのんですけど、「水戸黄門が隠居した西山荘(せいざんそう)がある」という情報を得て以来、ずっと気になっていた場所でした。

水戸から水郡線に分岐して向かうというアクセスの特性上、日帰りには少し遠く、宿泊するには近すぎるという微妙な距離感だったんですけどね。
今回の旅でようやく、その地に足を踏み入れることができました。

北関東の覇者:佐竹家が築いた54万石のプライド





まず向かったのは、かつての専売公社跡地、太田城三の丸跡地です。

ここ常陸太田を本拠地としていたのは、戦国時代の名門・佐竹家。
佐竹家は清和源氏の流れを汲む超名門であり、室町時代から常陸国を統治してきた有力守護大名です。

戦国期には「鬼義重」と恐れられた佐竹義重らが北関東に覇を唱え、一時は北条家や伊達家とも渡り合ったほど。

豊臣秀吉の小田原征伐に参陣したことで、常陸一国54万石余という広大な領地を安堵。
これは当時の大名の中でも全国8番目という、凄まじい存在感を誇る規模でした。

ところが、その栄華も歴史の荒波によって大きな転換点を迎えることになります。

1600年の関ケ原の戦い。
佐竹家は東西どちらにつくか曖昧な態度をとったことが、勝利した徳川家康の逆鱗に触れることに。

結果、1602年に秋田へと転封。
石高は20万石へと激減し、そのまま明治維新まで秋田の地を治めることとなったんです。

鶴の舞う城:太田城から水戸へ続く道





佐竹家の本拠地であった太田城は、別名を「舞鶴(まいづる)城」と呼ばれていたんだそうです。

もともとは平安時代末期に築かれたと言われるこの城は、常陸太田の台地を利用した堅城。
佐竹家はこの城を拠点に勢力を拡大し、領国経営の中枢として機能させてきました。

しかし戦国末期、より広大な領地を統括するために、拠点を水戸へと移します。
これが現代に至る茨城県の県庁所在地・水戸の発展のルーツとなったんだそうです。

このときに舞鶴城はその役目を終えたというのが、この地の歴史。

源氏の血脈:若宮八幡宮に刻まれたアイデンティティ





かつての二の丸跡には、現在は若宮八幡宮が鎮座。
佐竹家が清和源氏の一家系であることを何よりの誇りとしていた証左が、この社の存在です。

鎌倉幕府を開いた源頼朝と同じ「源氏の氏神」である八幡宮を祀ることで、その正統性を誇示。
格式高い血筋を重んじる佐竹家のアイデンティティが、この参道の静謐な空気の中に息づいているような気がします。



参道を抜けると、威厳ある拝殿が姿を現します。

若宮八幡宮は、佐竹氏の祖である佐竹昌義公が12世紀に創建したと伝わる由緒正しき社。
以来、佐竹氏代々の祈願所として、また地域の守護神として厚い信仰を集めてきました。

武運長久を祈った武士たちの熱量が、長い年月を経て深い風格へと昇華されているような。



境内の一角に「太田故城碑」があるとの情報を得て探してみましけど、おそらくこれではないかなと。
石碑は激しく風化しており、文字は完全に消えてしまっています。

とはいえ、読めないからこそ、そこに刻まれていたであろう「歴史の重み」を想像する愉しみがあるというわけです。

自然のアーカイブ:樹齢を重ねた「大ケヤキ」の威容





この神社のシンボルとも言える「大ケヤキ」を拝見。
茨城県の指定文化財であるこのケヤキは、推定樹齢600年以上と言われる巨木です。

佐竹家が秋田へ去り、徳川の世となり、そして現代に至るまで、この街の変遷をすべて記録してきた存在。
幹周りは5メートルを超え、天を突く枝ぶりは、周囲の住宅街の中でそこだけ時間が止まったような神々しさを放っています。

厳しい冬の風に耐えながら立つ姿は、まさにこの地の歴史そのものを体現しているかのようでした。

佐竹家の城跡を辿り、風化した石碑を眺めて往時に思いを馳せる。
これは世間一般から見れば、完全に「歴史オタク」の所業でしょうけど、私にとってその充足感は何物にも代えがたいものです。

歴史の流れの中に、自分なりの発見を見出す喜び。
私の影響か、すでにその世界に片足を突っ込んでいる息子も、このディープな散策に満足げな様子でした。




【おまけのワンポイント】
・佐竹家が秋田へ移った際、領内の美人を多く連れ去ったのが「秋田美人」のルーツになったという、真偽不明ながらも興味深い都市伝説が残っているのは面白いですね。